その1・サイレンススズカ〜君の影が見えない・・・。後編〜

 サイレンススズカの1998年は2・14。
バレンタインに行われたバレンタインSから始まった。鞍上は、武豊
オープン特別とあって人気はサイレンススズカに集中。単勝1.5倍の支持。
サイレンススズカは人気に応え、後続を4馬身離す快勝で飾ってみせる。


続いて中山記念に挑戦。ここでの単勝オッズは何と1.4倍。
しかし、サイレンススズカは臆することなく快速を披露。
再び人気に応え勝利、これがサイレンススズカの重賞初制覇であった。
続く小倉大賞典も1頭だけ次元の違う競馬をしたサイレンススズカ
年明け3連勝をあっさりと決める。


そして、この年4戦目となる金鯱賞
サイレンススズカを象徴付けるレースとなったこの1戦。
まさにスタートからゴールまで、サイレンススズカは1人旅を演じきった。
驚異のハイペースについていけるものは無く、着差は大差。
見るもの全てに鮮烈な印象を残し、重賞3連覇を飾った。


7月、春競馬を締めくくる宝塚記念サイレンススズカにとって4度目のG1挑戦。
鞍上は武豊ではなく、ベテラン南井であった。
勝手の違うG1挑戦となったが、サイレンススズカはこの日も逃げた。
最後の直線、同世代のステイゴールドと武が乗るエアグルーヴに詰められるが、
3/4馬身しのぎきったところがゴールだった。
サイレンススズカ、念願のG1初制覇。
グランプリと言われるこのレースで、サイレンススズカは最強の称号を手に入れた。


秋競馬、サイレンススズカ毎日王冠から始動した。
このレース、今でも語り継がれる、そうそうたるメンバーの激突であった。
打倒サイレンススズカ1番手に名乗りをあげたのはグラスワンダー
朝日杯をレコード勝ちした怪物の復帰初戦であった。
さらにはエルコンドルパサー。ここまでの戦績は5戦5勝。
無敗でマイルカップを制した世代トップクラスの名馬。
3頭の激突となった。サイレンススズカは・・やはりいつものサイレンススズカだった。
エルコンドルパサーグラスワンダーも、彼の影を踏むことすら許されなかった。
年内無敗の怪物は、ここでもその圧倒的能力を示した。


そして、運命の日。1998年11月1日。秋の天皇賞
昨年惨敗したこの舞台に、サイレンススズカは脚を踏み入れた。
単勝オッズは1.2倍。大観衆の全ての人は、その剛脚を記憶に焼付けに来た。
本馬場入場が始まり、大観衆の前を悠然と歩くサイレンススズカ
その様子から、幼かった気性の断片はうかがい知ることも出来ない。
時間は刻一刻と迫っていた。


レースが始まった。最内枠からすいすいと逃げるサイレンススズカ
そのスピード能力は今さら語るまでも無く、メンバー1。
見ている全てのものが、今日の圧勝劇を、
サイレンススズカが1番にゴール板を駆け抜ける姿を頭の中で描いていた。
その時、第4コーナー。サイレンススズカが、止まった。
明らかな減速の後、コースを外れるサイレンススズカ
レースは11頭によって続けられた。


勝ったオフサイドトラップよりも何よりも、観衆がサイレンススズカの容態を気にした。
・・まさか。
左手根骨粉砕骨折
サイレンススズカはターフを、この世を去った。
鮮烈なデビューを飾り、波乱万丈の競馬人生を歩み、
人々に衝撃的な記憶を与え続けたサイレンススズカは、最後まで鮮烈な印象を残した。


この世を去って7年。サイレンススズカを最強馬と信じる声は止まない。
鮮烈な印象を残し続けたサイレンススズカ
競馬の楽しみ、喜び、そして悲しみ。
競馬そのものを自分に教えてくれたのが、サイレンススズカだと自分は思っている。